今年の12月にチェルフィッチュ『三月の5日間』のリクリエーション(※もう一度つくりなおすという意味?)が発表されるが、「『三月の5日間』以降」あるいは「チェルフィッチュ以降」という言葉で語られるように、日本の現代演劇のあり方とその後の展開を大きく変えた作品のひとつだと言える。

初演は2004年2月ということで、筆者は当時名古屋で浪人生をやっていたのでリアルタイムでは観ていない。数年遅れて、ネット注文したDVDにて鑑賞したのだった。当時ちょっとだけ好意を抱いていた年上の女性とともに、ブラウン管のテレビ画面でこの作品の映像記録を観たわけだが、彼女の『三月の5日間』の反応はぱっとしたものではなかった。

2005年7月号の雑誌「ユリイカ」で、「この小劇場を観よ!」と題された小劇場特集が組まれたが、この中で大々的に取り上げられていたのが「シベリア少女鉄道」と「チェルフィッチュ」だった。シベリア少女鉄道は主宰の土屋亮一自身による全作品解説、チェルフィッチュの名前は複数の記事の端々に見受けられ、岡田利規による「演技/演劇の、ズレている/ズレてない、について」という自身の演劇論を綴ったエッセイも掲載されている。この二団体の公演を、筆者は新幹線に乗り東京まで観に行ったのを覚えている(シベリア少女鉄道『スラムダンク』(2005)、チェルフィッチュ『エンジョイ』(2006))。

チェルフィッチュ『三月の5日間』を初めて生で観たのは大阪の国際現代美術館だったはず。このとき慣れない大阪で道に迷い泣きそうになったのを覚えている。川を越えた先に巨大なウニのような建造物があり、たしか開演後に10分程度遅れて入場したはず。

『三月の5日間』はイラク戦争が始まった2003年3月に五日間、渋谷のラブホテルで過ごす男女の物語を中心に、その友人、また渋谷を通過する戦争反対を掲げるデモ隊の様子などが描かれる。思えばこの十数年で「デモ」の意味合いがまるっきり変わってしまった。

さて、この作品でセンセーショナルだったのが〈人称の移動〉の手法である。舞台上に登場した俳優が観客に向けて、知り合いの「ミノベくん」の話を語り始める。俳優の語りが続くうちにいつしかその俳優自身が「ミノベくん」本人になっている。そうかと思えばまた語り部(「ミノベくん」の知り合いの「アズマ」か?)に戻っている。この語り口が非常に魅力的で、とにかく「面白かった」のである。現在、文芸の批評で〈移人称〉という言葉がよく使われるがこの「〈移人称〉小説」と言われる小説のプロトタイプが、この岡田の手法にあるのではないかと筆者は勝手に(※本当に勝手に!)考えている。岡田自身このアイディアを発展させ、小説のかたちにしている。

 お住まいはご近所ですか? とおばあさんが私に訊きました。はい、ほんとうにすぐ近くなんです、と答えて、私もまたおばあさんに、アマゾンのマークを意識した形の口元をして、微笑み返しました。おばあさんが、きのうもらったポイント・カードに、スタンプを追加しました。レジのそばの藤の籠に、自由に持って行っていいようにパンの耳が入っていたのを、私はひと袋もらって、店を出ていきました。レジを打つための位置から見えるガラス越しの風景の領域の外に私が消えていき、すると次の来客までは、しばらく間が空きました。おばあさんが、笑顔を休んで、あくびをしました。

岡田利規「楽観的な方のケース」(「新潮」2008年6月)

「私」という一人称で書かれた物語のはずが、この場面では、なぜか「私」が去った後の「おばあさん」の様子まで描写してしまっている。この小説「楽観的な方のケース」では、こんな具合に一人称のまま視点移動が、軽やかに、遊ぶかようにおこなわれる。

彼が傷の痛みと、手の甲の情けなくなってしまった見た目に気を取られて消沈しているうちに、トンビは、早ばやとコロッケパンを食べ終えたのか、それとも海の中にでも落としてしまったのか、今や気流を拾って上昇していました。それよりも遥かに上空に飛んでいるジェット機から、タンカーが海面に付けた航跡が見下ろせました。その航跡の形状が、彼の手の甲に今できたばかりの傷と、似通っています。彼は、この傷を私にどう説明すればいいのか、しばらく頭を絞りました。そして、妙に手の込んだ経緯を考えても、かえって嘘くさいと思って、結局、そんなに奇をてらったりしないことにして、私に訊かれたら、どこかを歩いていたとき壁の角に引っ掛けたとでも言おうと決めました。

岡田利規「楽観的な方のケース」(「新潮」2008年6月)

物語の終盤、「彼」が「私」に内緒でパン屋「コティディアン」で総菜パンを購入し、公園でひとり食べていたらトンビに持っていかれてしまうシーン。「私」という一人称で書かれた物語は、遂に鳥瞰(トンビ→飛行機)の視点(いわゆる「神の視点」?)まで手に入れてしまった。彼の「手の甲の傷」と飛行機の窓から見下ろした「タンカーの航跡」を「私」のまま見比べている辺りに、この〈視点の移動(拡張?)〉をかなり意識的に(※どや顔的に?)おこなっていることがうかがえる。

ちなみに筆者はこの小説を大学の卒論で扱ったのだが、そのときの担当教員が「(小説の内容が)あざとすぎる」と言っていたのを覚えている。この「あざとさ」が岡田の作品の、実はミソではないかと筆者は踏んでいるのだが、それはまた別の話。

『三月の5日間』の前作品『マリファナの害について』に関して岡田がどこかで語っていたように思うのだが、〈人称の移動〉の手法は、フォークナー『アブロサム、アブロサム!』をヒントに、演劇へと応用したものらしい。つまり元を辿ればこのやり口は小説的な技法だったといえるのかもしれない。

さて、この〈人称の移動〉について付け加えておかなければならない事は、これが2000年代の演劇の根底に流れていた、演劇というフォーマットに対しての懐疑、という空気感から生まれていたことである。演劇は(演技は)所詮つくりものでしかないという元も子もない事実に、演劇の作り手自身が自覚的だったのだ(※当時と比べて現在、演劇の地位が若干上がっているような気がする。たとえばバイト先などに「演劇してます!」というのはかなり恥だった。今はどうなんだろう、ともかく演劇人は「演劇のダサさ」というものに非常に自覚的だった)。もちろんその大元となっているのは「静かな演劇」である。

80年代の「小劇場ブーム」に対抗するかたちで生まれた「静かな演劇」は、日常性と〈リアル〉さを追求する。平田オリザの言うように「演劇は暑苦しい」。その「暑苦しさ」というのはつまりダサさのことで、それを回避するよう生まれた「静かな演劇」が2000年代に入りさらに枝葉を広げていったものが、2005年「ユリイカ」に特集されるような2000年代におけるムーブメントだったように思える。簡単に言えば、演劇なんかやっててすいません!と思いながら演劇がつくられていたということだ。

筆者の好みで例を挙げるのだが、たとえば「五反田団」の演劇には、しょせん演劇、という諦めの境地(?)がそのまま舞台上にのせられていた。本当かどうか定かではないが、舞台セットに用いられたものに値札シールがそのまま貼られてあったらしい。そして「ポツドール」は、「静かな演劇」が舞台の奥へと追いやった〈暴力〉や〈セックス〉をあえてそのまま舞台に上げ、リアリティーを追求することによって演劇につきまとうダサさを振り払った。

舞台上に上げられたものはしょせん演技でしかない。ではチェルフィッチュはどういったアプローチでその問題に向かい合ったかというと、まあ先ほど述べたような「伝聞形式」である。つまり「~の話をします」と前提を置くことで、実際の物語空間から距離をとる。そういった前置きをしつつ「演技」をする。そうかと思えばまた「演技」から離れる。

そのような「演技」と「伝聞的語り」が混在するカオスが、『三月の5日間』では見事にキマッている。さらには〈人称の移動〉である。このように物語の実際の現場(三月の五日間に起こった物語)から距離を取ることで、〈リアル〉(※平田オリザ演劇論におけるキーワード)を確保することが可能となる。逆に言えば、距離をとるからこそ〈人称の移動〉が可能になる。俳優は登場人物本人ではないという前提がありつつ、本人となる(演技をする)。また複数の俳優が一人の登場人物を演じるという状況も起こる(さっきはあの人がこの役をやっていたのに今度はこの人がこの役をやるのか)。登場人物からの乖離によって、観客の前に現前する俳優の身体が、物語から浮遊してくる。ある意味幽霊のように浮いた存在として、目の前にあるのである。

この感覚がわかりやすいのが『フリータイム』(2008)である。舞台はファミレス。舞台美術が印象的で、たしかにそこはファミレスなのだが、床が数十センチ分浮いているのである。つまりテーブルは俳優の脛くらいの高さに、椅子はテーブルを囲み、背もたれのカーブだけが床から生えている。その舞台に立つだけで、俳優は床(本当のファミレスの床)から浮いた存在になってしまう。

さて、少しフライングをしたような気もするが、話をつづける。演劇ではまず場面が設定される。そこに登場人物がやってきて物語が進行する。では『三月の5日間』では、場面設定はどこなのだろうか。

舞台セットは要らない。

岡田利規『三月の5日間』

これは戯曲のいちばん最初にくるト書きである。舞台セットいらないのなら別に書く必要ないんじゃないだろうか。いやそうではない。これはあえて言っておかなければならない事なのだ。舞台セットは要らない、つまりここはどこでもない場所である、という前置きである。物語空間から浮遊した、ここは抽象的な、どこでもない場所だ。それはもしかして岡田の演技論で言う〈イメージ〉という言葉と対応しているのかもしれない。

しぐさは、言葉からではなく、〈イメージ〉から生成されてくるものなのだと僕は思っています。
そして言葉もまた、〈イメージ〉から生成されたものとしてパフォームされるべきものだと、僕は思っています。
ここでいう〈イメージ〉とは、言葉という形や、しぐさという形を取る以前の、グロテスクな塊のような状態のものが溜まっている場所みたいなもののことです。人はそこから言葉という形にして、あるいはしぐさという形にして、一部を取り出して見せます。

岡田利規「演劇/演技の、ズレている/ズレてない、について」(「ユリイカ」2005年7月)

浮遊した抽象空間において、観客が目にするものは物語としてかたちになる前の「グロテスクな塊のような状態のもの」だ。言葉として提示される以前の、脳内の記憶のようなもの。だから岡田の戯曲の言葉は、要領を得ない、同じことを何度も繰り返してしまうような「超リアル日本語」となる。そして、その「グロテスク」な状態がそのままのせられる舞台という場所は、「舞台セットは要らない」抽象空間である。

平田オリザの劇作法において、「セミパブリックな空間」という言葉がある。これはプライベート(私的)とパブリック(公共)の中間に位置する場所、という意味合いである。まずこの「セミパブリック」な場所を設定することが劇作における重要なポイントとなる。

セミパブリックな空間とは、物語を構成する主要な一群、例えば家族というような核になる一群がそこにいて、そのいわば「内部」の人々に対して、「外部」の人々が出入り自由であるということが前提になる。

平田オリザ『演劇入門』

 例えば、家の茶の間を舞台として設定したとしよう。登場人物は、夫婦と娘と息子。こうすると日常会話は確かに弾むかもしれないが、観客の側にとって興味のある話題(必要な情報)が出てくるのは、相当の手続きと時間がかかる。
 考えてみてほしい。この家族の会話だけでは、父親の職業は、何時間たっても観客には判らない。日常会話には、「自分たちが知っている情報については、わざわざ喋ることがない」という大原則がある。だから、普通の家庭の子供が、
「お父さん、いま何の仕事してるんだっけ?」
と聞くことはありえない。お父さんのほうも、例えば彼が銀行員でも、
「今日、銀行に変な客が来てさ」
とは言わないだろう。
「今日、店に変な客が来てさ」
で、家族間の会話では事がすんでしまうのだ。

平田オリザ『演劇入門』

舞台上で、物語を進展させるためには対話が必要となる。対話が自然なかたちで生まれる場として「セミパブリックな空間」という設定をおこなうのだ。これは戯曲において〈リアル〉ではないいわゆる「説明的なセリフ」を省くための処置ともいえる。

対して『三月の5日間』におけるセリフは、きわめて共感的である。物語の中心となるのは、ラブホテルの一室という「プライベートな空間」。男女はライブ会場で出会った「行きずりの関係」であるが、二人は互いの素性すら明かさない。

女の子はユッキーって子なんですけど、でも別にミノベくんとそのユッキーって子は名前教えあったりしなかったから、でも名前ほんと要らないんですよね、ずっと二人でしかいない場合、名前なくても話す相手ひとりしかいないから名前要らないんだよねって、ミノベくんがこれは言ってたことなんですけど、

岡田利規『三月の5日間』

お互いの名前すら必要ない「プライベートな空間」である。イラク戦争が勃発した三月の五日間、渋谷のラブホテルのベッドで過ごすという男女(当然それはジョンとヨーコのラブ&ピースを彷彿とさせる)という「プライベート」な物語を演劇というかたちで成立させているのは、乖離して浮遊する俳優の身体と抽象的空間ではないだろうか。

ここで2000年代の演劇は「若者のリアル」を題材に扱っていたんじゃないかという話を思い出した。演劇に限らず音楽、漫画、サブカルチャー全般にそのような傾向があったことを、今では懐かしく思う。

ポツドールとチェルフィッチュが共通して取り扱っているテーマは、強引に言えば「青春」だということだ。ほぼ同世代で同じ文化的共同体に生きている二〇~三〇歳前半の若者たちの話なのだ。対抗する別世代は現れず、異文化との接触もほとんどない。これは、作家の年齢や舞台の設定、集められる俳優の制約などが大きい要因だと思うが、そこで背伸びをせずに描かれる「青春」は、同世代だからこそ陥りやすい過度の愛着や思い入れとは無縁だ。その背伸びしないという誠実さが日本の現実を、現実の貧しさを浮かび上がらせる。

松井周「ポスト「静かな演劇」の可能性」(「ユリイカ」2005年7月)

松井のこの論考でも一言とりあげられている古谷実『シガテラ』は、あれだけ繰り返し読んでいたのに、筆者はもう今では読み返さなくなっていた。『三月の5日間』のことをこうして書いていると、今になってこそ思う「あの頃は良かった」という想いが、ふつふつを沸き上がってくる。ただの〈自意識のかたまり〉でいられたわたしたち。ただ歳を取ったせいか、それともここ最近の、時代の空気感のせいなのか(後者の可能性が高いかも――)。

話を戻すと、平田の言う「セミパブリックな空間」というのは、若者の「背伸びしないという誠実さ」「現実の貧しさ」と、相性が悪い。僕ら若者(当時)には、外の世界なんて存在しないのだから。対話ではなく共感が、僕たちの〈リアル〉である。「セミパブリックな空間」を使わずにいかに〈リアル〉な表現をするか。『三月の5日間』の冒頭のト書き、「舞台セットは要らない」には、このような意思表明めいたものをを当時、筆者は受け取っていた。

物語から俳優の身体および舞台空間を浮遊させることで、岡田は「プライベート」なセリフを「暑苦しく=ダサく」なく、演劇として表現する適切な距離感を手に入れたと言える。ここにひとつ可能性が秘められていた。「プライベート」なセリフというのは、内面の吐露であり、つまり熱く(エモく)なれるかもしれないのである。

『三月の5日間』以後、チェルフィッチュは海外にも発表の場を広げた。つまり文字通り「世界が広がった」わけであり、「方法論をそれ以上、引き寄せないように、それをいつまでも掴んでいないように、すぐ手放すように」岡田のスタイルは変化していった。とくに2011年の東日本大震災以降、岡田の表現は直截的なものになっていった。『地面と床』(2013)冒頭のこのセリフに、筆者はビビッてしまった。

由紀夫 (塚にむかって)お母さん、俺は今日はすごくいい話を報告できるよ。そんなこと最近の俺には全然なかったけど、今日の俺はそういう話を持ってるんだよ。ついきのうのことだよ、働き口が決まったよ、前の勤め先の工場が閉鎖されてよその国に移って行った、あれから数えたら二年半ぶりだよ、やっと俺も運が向いてきたよ、世の中も少しはましになってきた、俺はきのう祝杯をあげたんだよいつもの店で、そこの連中のひとりが言ってたよ。それが本当なのかどうか俺にはわからないけど、半年前の選挙の結果で、俺たちみたいな人間がいちばん必要としてるのが何か、その前のやつらと較べて今の政治家は少しは真面目に考えるようになってるってそいつは言ってたよ、ほんとかどうかわからないよ俺には、でもとにかく俺は仕事を手に入れたよ、お母さん、喜んでよ。

岡田利規『地面と床』

これは平田の言う「説明的なセリフ」というやつではないだろうか。とくに「前の勤め先の工場が閉鎖されてよその国に移って行った、あれから数えたら二年半ぶりだよ、」という箇所がレギュレーション違反である。語りかけているのは塚、つまり墓であるが母親に対してであり、母親とはこのような情報はきっとすでに共有しているはずだ。つまり〈リアル〉ではない。しかしこれで成立しているのである。

成立するのは前述したように、俳優の身体が浮遊しているからである。しかもその浮遊が、前提(「~の話をします」)を置かずとも、可能になっているのである。それはきっと経年変化=深化による賜物だろう。この場面を観て筆者は、『ハムレット』第一場、先王ハムレットの亡霊を目撃する門番らの過剰な説明ゼリフを想起した。またある種のコント冒頭(例「あー、ネタ書くために喫茶店来たけど、ぜんぜん思いつかへんな~(独り言)」)のセリフのようにも感じられた。しかしそれが現代演劇において成立してしまっているのである。そしてこのセリフ運びは間違いなく熱い(エモい)のだ。

「静かな演劇」において「暑苦しさ」は回避された。それは〈リアル〉ではないから。それを正統に受け継いだはずのチェルフィッチュが、こうして熱さ(暑苦しさ)に回帰してきたのである。そこで筆者が思い至ったことは、そもそも演劇とは元来熱い(エモい)ものであったのではないか、ということである。原初の演劇はきっと、熱狂に包まれた状態で為されていたはずだ。岡田の変化に起きたこの熱さ(エモさ)は今後の演劇のキーポイントになってきそうな、そんな気が漠然としている。時代がそれを求めているという可能性もある。

『地面と床』では、日本語がなくなるかもしれない近い未来について描かれる。子を腹に宿す妻とともにこの土地を去る兄と、道路を修復する職に就きこの地にとどまる弟。そして地面の下に眠る母の亡霊はこう語りかける。

「ときどきでいい、たいせつな、日本語で、私に話しかけて。わたしはそれ以上、なんにも望まない。」

なんて感動的(エモーショナル)なんだろう。まあ演劇であれ何であれ、表現というものは時代の反映とも言える。ひとつの時代が終わり、新たな局面に差し掛かってきているのは多分、今の日本(もしくは世界?)に生きる人々にとって周知の事実だろうと思う。2000年代初頭の、あの輝かしくも怠惰だった青春時代を(涙ながらに)振り返りつつ、今、周囲の誰かが一発やってくれるのをずっと期待して待ちつづけているし、まあ私自身も、少なくともエントリーだけはしたい所存である。