[日誌]3月21日『真昼に見える木星』2 切削作業

寒い。雪なのか雨なのかよくわからないビチョビチョした断片が落下してくるなか、稽古場へ向かった。

「しっかり間(ま)をあけよう」から読み合わせが始まる。読み合わせだと、台本に書かれたものばかりに目がいってしまい、書かれていないもの、つまり間などを見落としがちだ。本番に合わせた間を取るため、読み合わせの時点から間をしっかりあける。

 

一回読み通しての渡邊さんへの指示は「自分の発するセリフへの信頼度を下げる」こと。そのことによってこの場のフワフワ感を演出する。ここから犬飼さんが今回目指す演劇観の話へ。

従来の演劇(ここでの射程はおそらく近代演劇)は、ここにこのセリフ、ここに伏線、設定はこうで…と組み立てて「構成」していた、と犬飼さんは言う。建築のように個として完成された演劇だ。今回はそうではなく、何か得体の知れない大きなものから断片だけを「切り出し」、それを積み上げていく。そのためセリフが一言一言積み上げられていく度に、そこに現前しているもののかたちも変わる、ということを目指すというのだ。これは先の「フワフワ感」とも繋がる。ここで私はニーチェの『悲劇の誕生』を思い出したのだが、これは別記論考に譲る。

 

「話を展開させるセリフはダウトをきるように」というのが2回目3回目の読み合わせ後に渡邊さん、松竹さんに出された指示である。『真昼に見える木星』の台本は話があまり前へ進まず、実態がつかめないように「切り出さ」れている。だからこそ話が展開してしまう大きな「切り出し」は、ダウトを切る時のように意を決する感が必要ということだろうか。役者陣はこれから、この断片との付き合い方を考えなければならないのかもしれない。得体の知れない大きなものが見えないため、この舞台に対しては独特な姿勢が要求される、かもしれない。

 

この他にもいくつか指示があったり、ピーピングライフというアニメの話をしたり、私が代役を務めさせていただいたりたりなど諸々があったが、今回の日誌では上記として「切り出し」、まとめてみた。時系列もはっきりせず、割愛した部分もあり、これが日誌の機能を果たしているかは定かではない。しかし、言葉そのものが何か得体の知れないものから「切り出し」ていくものである以上、これもありかもしれない。なしかもしれない。

 

犬飼さん、渡邊さんとの帰路。落下していた断片は完全に雨になっていた。薄着で来たことを後悔した。

1996年埼玉生まれ埼玉育ち。 早稲田大学文学部ロシア語ロシア文学コース在籍。同大学演劇サークルに所属。