[日誌]5月9日『木星の新衛星発見』2

昨日の『ふたたび接近』の稽古で書き直しの必要が出てきてしまい、気持ちが急かされる状態で本日はそれとは別の『新衛星発見』第二回目の稽古。二回目といっても前回半分ほどつくっていた脚本はボツとして、新たなものを用意したため本日が初の読み合わせとなった。

 

■「演技が不謹慎」ということについて

ところで昨日の書き直し決定もショックだったけど(ショックというほどでもないけど)、今日の稽古前に観た演劇の面白くなさもショックだった。面白くなく感じた理由を今これを書きながら考えてるのだけれども、その大きな理由のひとつにその演技体にまったくノれなかったというのがあると思った。

福島第一原発事故を題材とした『太陽の蓋』という映画があって、僕はこの映画を観てなくて予告編だけを映画館のスクリーンで見ただけなのだが、率直に「演技が不謹慎」だと思った。

この「演技が不謹慎」という感覚は、あまりちゃんとこのことについて他の人と話したことがないので共有できるか不安なのだが、扱う題材によっては、「演技をすること」自体が「不謹慎」となる。「リアル」が強いと「フィクション」は負けて、それが「不謹慎」になる、といった感じか。

今日観た演劇は「死」あるいは「死者」というものを扱っていて、はたしてその演技体で「死」というものを扱えるのかというのを考えていた(つまり扱えていないと思った)。「死」「死者」を扱うにはその演技は「不謹慎」だ、と僕には思えた。

人の生は思っているほどドラマティックではなく、そんな日常の地続きに「死」はある。演技(フィクション)は、そのような「死」を扱うためにどのようなかたちを取るのが適切なんだろうか。

と、こんなことを考えているのは、今回用意した『新衛星の発見』の脚本の中に、「死ぬ」という単語が出てくるからだ。これまで僕は脚本のなかに「死ぬ」という言葉を使うのをかなり明確に避けてきたところがあるのを自覚していて、今回はあえて使った。

僕はちょっと舞台上でその言葉が発されるのが怖い。

 

■『木星の新衛星発見』(仮) 脚本完成

最後までできた新しい脚本を座った状態で二回読み、それから立ち稽古に入った。昨日の『ふたたび接近』が書き直しになったことに若干ビビッていて今回のもうまくいかなかったらどうしようと思っていたが、大丈夫そうだった。

社内の備蓄品に関する「牧歌的」な会話が『新衛星』のおもな趣旨になる(「牧歌的」という言葉は山科さんから)。ほかの場と比べて、だらだらとした雑談めいたものがつづく、というかそれだけで構成されていて、場所の指定もはっきりしていない。そのため動きがあまり生まれないのが『新衛星』の特徴だった。

休憩後、もう一度、座った状態で読みセリフの確認をおこなう。渡邊さんのセリフが細かすぎて覚えにくそう。でもこの細かさは必要な細かさだと思った。

最後にもう一度、立ちをして、今日は「低気圧なので」三十分ほど早めに稽古は終了した。やはり動きが少なくなるのが今後の課題のように思えた。山村さんが言ったように、三人いるうちの二対一の構造が脚本のなかで数回変化するので、それに合わせて立ち位置を変化させるのがいいだろうか。でもそれをうまくダサくならないようにやれるだろうか。

スケジュールの関係で、『新衛星』の稽古は次回は六月に入ってから。つぎにこれをやるのがいきなり六月二日の通し稽古ということになる。でもあまり心配する要素は今のところない。

あと、この場のタイトルが変更される可能性がけっこうある。

劇作家・演出家。 愛知県出身。 2007年-2015年、演劇カンパニー「わっしょいハウス」にて、主宰・劇作・演出として活動。現在は個人名「犬飼勝哉」として作品を発表する。2017年、急な坂スタジオ「坂あがり相談室plus」対象者として選出。同年12月、早稲田小劇場どらま館「どらま館ショーケース2017」に選出され作品を発表。