[日誌]5月10日『木星からの物体X』2 切削作業Ⅱ

外で遊ぶ子供達の声が微かに聞こえ、その内の誰かは大泣きしていて、犬飼さんは一人部屋の中を寒がる中、出演者3人は黙々と台本を見ながら口ずさむ、というところから稽古は始まる。前回の『木星からの物体X』(以下『物体X』)の日誌でも記したように、この戯曲は二回上演されており、今回の出演者は皆一度は上演を経験している。そのための慣れによって失われてしまう「リアリティ」を蘇生させるのが今回の稽古の主眼であったように犬飼さんの言葉の端々からは感じる。

最初の立ち稽古での犬飼さんの指摘は、「コミカル」に寄りすぎているので「リアリティ」の度合いをあげるということだった。おそらくこの「コミカル」と「リアリティ」は対義語的に用いられている。「コミカル」のことを犬飼さんは、「ニュアンスが少なく」「意識のオン/オフがよく見える」状態だと説明していた。「ニュアンスが少ない」は前回も触れられた「台本を信用するな」に通づる話だと思われる。そして「意識のオン/オフがよく見える」の話が少し新しい観点のように思う。

2回目3回目以降の立ち稽古に対する犬飼さんの指示の中心も「意識」に関する指摘であった。より具体的に述べると、あらかじめ準備された台本に従って俳優は演技をするため、台本の「表面上」の意図に慣れてしまい、それを「意識」しすぎて結果的に観客に、それがあらかじめ準備されたものだという印象が伝わっているという指摘だ。

これは大抵のリアリズム的演劇で問題になるであろう指摘である。すなわちもっと平易な言葉でまとめると、わざとらしさや嘘くささの問題である。今回の稽古でこれが特に問題となったのはおそらく俳優のセリフ覚えがまだ完璧ではないからだ(責めているわけではありません笑)。俳優さんたちは『物体X』の公演を一度は経験してはいるがセリフは忘れてしまっている部分もある。完璧でない分、台本には何が書いてあったかという「表面上」の文字を追うことに精一杯になってしまい、わざとらしく聞こえるのである。この「表面上」のもの、ないしは「意識」それ自体の正体はおそらく「言葉」である。セリフ覚えが完璧でなく、台本の言葉を懸命に追いかけているとき、俳優は言葉に隷属している。日常会話ではそのような状態は滅多になく、言葉と対等に扱われる諸々があるはずであり、それが犬飼さんのいう「ニュアンス」やら「ノリ」と呼ばれるものだ。これを蘇生させる、つまり言葉の支配から脱却するのが当分の目的である。

これが巷の演劇論でよく言われる「身体化・肉体化」なのかもしれない。今回の舞台の身体は一体どうなんだろうか。まだよくわからない。

犬飼さんはこのように言葉がたっている状態を無くすために「スティーブ・ジョブズがどこかでプレゼンの練習をしているように」と仰っていた。これは正確なのか否か…。ただその間の抜けた感じが俳優をリラックスさせ、結果として少し言葉から解放されたようにも思う。

稽古は複雑で地道だ。

1996年埼玉生まれ埼玉育ち。 早稲田大学文学部ロシア語ロシア文学コース在籍。同大学演劇サークルに所属。