[日誌]5月15日『ふたたび接近する木星』2

犬飼さんが到着して間もなく、新しい戯曲が配布された。                 

そして座ったままの本読みが始まった。

約8分間の本読みが終わる。戯曲はまだ書いている途中の物であった。

このシーン6場である。全体では7場まである。その中の6場だ。

「この戯曲はエンジンがかかった状態で上演されるのでエンジンをかけるまでの部分は省略して描かれている」というようなことを犬飼さんは言っていた。

演劇におけるエンジンとはなんだろうか?

私はそんなことを想いながら次に始まる、俳優が実際の立ち位置に立ちながらの稽古をみることにした。

私は1、2、3、4、5場までの稽古に立ち会ったことがない。そして7場の稽古も知らない。そんな中で想像するにこの6場は結構「要」になってくるのではないだろうか。1から5場までは上演時間を計算すると95分ある。観客はこの6場に来るまでにその時間を過ごしているのだ。そして迎えたこの6場。そのとき劇場にいる観客はどのような堆積を感じているのだろうか。

約7分間の1回目の立ち稽古が終わる頃

演劇におけるエンジンをテンポとかラフさ(軽さ)みたいなものとして仮定している自分がいた。正解は分からない。いい意味の「雑さ」を生むことができるのがこの6場だとしたら、そのまえの95分は「丁寧さ」が求められるのだろうか。

どんなに拒んでも時間は堆積する。通気性を良くして見せた所でそれは感覚の問題でしかない。その感覚をいじることが「エンジンをかける」ことなのかもしれない。

 

1995年栃木県生まれ。 立教大学現代心理学部映像身体学科、卒業。 2016年に同学科教授・松田正隆氏が代表をつとめる、マレビトの会のプロジェクト・メンバーとなる。フェスティバル/トーキョー16主催プログラム『福島を上演する』に演出部として参加する。(2018年現在、マレビトの会演出部に所属) フェスティバル/トーキョー17「実験と対話の劇場」では、演劇作品『驟雨』(作・演出)をあうるすぽっとにて上演した。