記述という演出

演出ノート始めました

ここしばらく「揺れる」ことについて関心を抱いている。演劇作品はたいてい複数回同じ演目が上演されるが、同じ脚本が同じ出演者によって同じ演出のもと上演されたとしても昨日の上演と今日の上演では違いが生まれるし、今日の上演と明日の上演にも違いがある。

この違いを「揺れ」と呼んでいる。

「揺れ」がどうして生じるか。それはたとえば、上演において俳優が同じセリフのなかのどこに重点を置いてニュアンスを言い含んだか、また観客がそのセリフをどう受け取ったか、またその連鎖の仕方が毎回異なるからだ。また当然観客が昨日とは異なるし、その他いろいろが昨日とは異なる。

上演は毎回フラットなゼロの平面から始まる。セリフや仕草がそのゼロの平面に積み重なってゆく。積まれたものの上に次のものが積み重なって意味の連鎖を生む。そのため微妙な積み方の違い、あるいは積まれるもの自体の違いによって、終演後には毎回形の異なる全体像があらわれる。

私たち現代人は、ついつい時間というものを均一に流れる一本の直線のように捉えがちだ。時間軸という言葉だ。上演が直線の左端から矢印に沿って直線的に進んでいくイメージ。しかしこれだとうまく「揺れ」を捉えきれない。

時間は積み重なるもの。これまで積み重なってきたものに、また新たに積み重なること。これは作品のリハーサルにおいても同じことが言える。稽古場での積み重なりが最終的に作品となる。

ここに記述される内容は、稽古場でどのようなパーツが積み重なったのかを明確にする。またそのような性質をもつこの記述の連なりは、おそらく稽古場自体に影響を及ぼし、今回の作品に「揺れ」を生むこととなる。

記述というのは、断定的なものである。言い切ることで、そこで行われた物事をある意味でそぎおとしてしまっている。しかしこの断定によるそぎおとしは、どことなく演劇作品を演出する行為に似ているような気もする。

劇作家・演出家。 愛知県出身。 2007年-2015年、演劇カンパニー「わっしょいハウス」にて、主宰・劇作・演出として活動。現在は個人名「犬飼勝哉」として作品を発表する。